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国指定の難病、シャルコー・マリー・トゥース病を患い、障害をもちながら地域生活する中で、よく思うことなどについて綴っています。電子…

子どものときから、足にも(少し遅れて)手にも麻痺のあった私は、見た目にも明らかにわかる障害者なのに、障害者であることをひたすら隠そうとしていた。
小学校のときは補装具をつけて通学していたが、学校から帰ると必ずスニーカーに履き替え、自転車に乗って友達と遊びに行っていたし、市の学校別スポーツ大会では、補装具を付けていることを知らない他校の友達なんかに見られたら大変だと、「突然しんどくなった」などと仮病をつかって競技にはでなかった。中学校に行っても高校に行っても、次第に足の状態は悪くなっていたが、できる限りの努力で障害者らしく見えてしまうことをすべて隠そうとしていた。

障害者という言葉も嫌いで、使いだした(抵抗なく使えるようになった)のは、障害者福祉を学びたいと大学院に入った、実はここ10年ちょっとのことなのである。
特に子どもの間は、障害があるというだけで、好奇に満ちた目で見られ、あるいは見下されていると本気で思っていたし、人とはどうしたって対等になれないような気もどこかでしていた。
ショーウィンドウなんかにふと自分の姿が映っているのに気づこうものなら、その日のテンションは突然だだ下がり。自分の影を見ながら歩くのも嫌いな子どもだった。本当に面倒くさい子ども時代を送っていたと、いまさらながら思ってしまう。

そんな私は長い間、特に子どもにはずっと苦手意識をもっていた。跛行で歩いていたら、その子の視界から私が消えるかあるいは見ていることに飽きるかされるまで、じーっと何も言わずに見られていることが常だったし、車いすを使いだしてからは、「なんでそんなん乗ってんのー?」と聞かれることが多くなった。
自分の姿を見ることが嫌だったのも、こんな経験が積み重なっていたからなのかもしれない。

あるとき、お寿司屋さんのカウンターで車いすから席に移動した。車いすをたたんで横に置いていたら、2~3歳ぐらいの男の子がちょこちょこちょこっと走ってきて、車いすの横に。いつもの「なんでこんなん乗ってんの~?」が来たか、と待ち構えていたら、その男の子は、車輪の外側についているハンドリムに手をあわせ、バスの運転手のマネをしだしたのである。
また、つい最近、あるテーマパークでトイレから出ようとしたとき、そこは石畳になっていて、車いすが動かしにくかった。後ろからきた小学生ぐらいの男の子が、「がんばりや~」と言ってお母さんのほうへ走っていった。
素直に「かわいい!」「面白い!」と思ったとき、いままで感じていた子どもへの苦手意識は一瞬で吹き飛んでしまった。

「言葉は魔法」。そんなエピソードを話した時に、信頼している人から言われた言葉である。「まなざしも魔法」。人を元気にさせる魔法の言葉やまなざしがこの世の中にもっと増えると、障害者や配慮の必要な人はもっと楽しく生きられる社会になるのではないか、と思っている。

[執筆者]
太田 啓子

[プロフィール]
シャルコー・マリー・トゥース病という難病により、車イスユーザーの障害当事者。現在は、仕事をしながら趣味を満喫しつつ、地域生活をしています。好きなことは、食べることときれいな景色を眺めてぼーっとすること。