国指定の難病、シャルコー・マリー・トゥース病を患い、障害をもちながら地域生活する中で、よく思うことなどについて綴っています。電子…
2018年は、いままで躊躇して諦めていたことをできるだけ実現させていこうと目標をたてた。少し頑張って行ってみたかった場所に行き、会いたかった人に会い、やってみたかったことをやってみる・・・。普通の人にはなんでもないことが、私には難しいことも多い。
躊躇していたのは何かしらのハードルを感じていたからに違いないのだが、私の場合、そのハードルの多くは体力的なこと、また予想されるバリアに難なく立ち向かえるだけの思いきりもなかったためだ。
それが、昨年末に沖縄に行き、帰ってきてからもしばらくは沖縄ロスになるぐらい楽しくて、行くまで感じていたハードルの高さを楽しさが超えてしまったのである。もちろん環境整備をしっかりやったうえで行ったのだから、ハードルはだいぶ下がっていたのだろうが、とにかく「心から楽しい」と思える時間を今年は増やしていこうと思っているのである。
先月は、東京と横浜に1泊で行ってきた。いままで感じていたハードルの一つに、「宿泊すること」があったのだが、沖縄でバリアフリールームに泊まったらストレスなく泊まれた経験から、今度はビジネスホテルのバリアフリールームに宿泊。シングルのバリアフリールームにも意外と難なく泊まれたので、今後の行動範囲はかなり拡がりそうだと自信にもなった。
東京と横浜では、患者会をはさんで小中学校時代の友人と会ってきた。もう何年も会っていないのに、一瞬で昔の関係に戻れるのは昔の友達ならでは。よくしゃべり、よく笑い、よく歩き、よく食べた。
学生時代、私は補装具をつけて歩いていて、普通学校普通学級に通学していた。見た目には明らかにわかる障害者だったが、当の本人は特に小学校時代は障害者であることをあまり意識せず、みんなとなんでも一緒にやりたがった。たとえば遠足なんかで「歩くのが遅い」から先生と先回りしておこう、なんていう大人の配慮を拒絶して友達に助けてもらいながら歩いた。運動会では騎馬戦にも組立体操にも上側に乗ってちゃんと参加した。
周りの目を気にして次第に参加しなくなっていくのは、中学時代以降のことである。
そんな話を当時私がみんなと一緒に参加することを助けてくれた友人に、先月「よく覚えてるわ~」と言われて、私も久しぶりに思い出したのである。彼女にとっては一緒に行ったその遠足での出来事が、私との一番の思い出なのだそうだ。
インクルーシブ教育。いまではそんな難しい言葉を使って特別支援教育も整備されている。幸か不幸か私の小中学校は特別支援学級のなかった時代だったから、みんなと一緒に、そこに支援者となる大人がいない中で私は過ごせた。そのときの友人との関係はこうして何十年たっても続いていて、私にとってはいまとても大事なものとなっているのである。
昔の話も今の話も素直に素朴に自然に語り合える。私には、この先もずっと続いていくであろうそんな関係の友人がとても大切だ。
[執筆者]
太田 啓子
[プロフィール]
シャルコー・マリー・トゥース病という難病により、車イスユーザーの障害当事者。現在は、仕事をしながら趣味を満喫しつつ、地域生活をしています。好きなことは、食べることときれいな景色を眺めてぼーっとすること。