研究会のテーマは「絵本を通して思い巡らす『生きることと死ぬこと』」。私は大学で社会福祉の教育に携わるにあたって、学生に対する死生…
臨床スピリチュアルケア協会の研究会に参加してきました。去る2016年9月23日、会場は龍谷大学梅田キャンパス、研究会のテーマは「絵本を通して思い巡らす『生きることと死ぬこと』」。
私は大学で社会福祉の教育に携わるにあたって、学生に対する死生観の涵養が不可欠だと考えてきました。福祉の仕事に就くならば、誰かの死や悲嘆に出会う頻度は高くなりますし、福祉の仕事に就かない人にとっても避けて通れるものではありません。「涵養」までいかずとも、若い学生たちが今後死について、あるいは生について深く考えるときがきたときに、学びの糸口となるような何かを伝えておきたいと思い試行錯誤をしています。
具体的な媒体としては、たとえば「グリーフケア」や「死生学」という言葉や、私自身が体験した生と死にまつわるエピソードを伝えることもありますが、「絵本」も一つのツールになり得ると思い、研究室に教材として絵本をいくつか揃えています。そんな興味もあって、今回の研究会の「絵本を通して」に惹かれて参加したのでした。・・・というのは表向きの理由で、実は今回の講師が、わが子が通う保育園のママ友さんが講師ということで、「一度話を聞いてみたい!」と思ったわけです。
講師の山本佳世子さん(臨床スピリチュアルケア協会運営委員/人と防災未来センター嘱託研究員)は、現在6歳の息子さんの子育て中。その日常のなかで、どんな絵本を手元に置き、その絵本を読み聞かせる際にどのような意味づけをされてきたのか、「地獄」や「極楽」、「妖怪話」や「ゲゲゲの鬼太郎」をめぐる息子さんとのやりとりを再現しながらお話してくださいました。私にとっては、お話に出てくる息子さんは自分の息子のお友達。彼がお母さんと会話をしている顔も表情も、時には仕草さえも容易に想像できるということもあり、本当に楽しくお話を聞かせていただきました。
死生観というのは、「人々が共有する価値体系である」という大前提を改めて確認し、子供の場合それは家族をはじめとした身近な人と共有することで、この世やあの世のこと、生きることや死ぬことについて発達段階に応じて理解を新たにしていくのだと学びました。そして、私にとってこの日もっとも印象に残ったのは、そうしたお話の内容に関することももちろんなのですが、頭で理解できた知識以上に研究会全体を包んでいた雰囲気でした。
私はかつて仕事でグリーフケアやスピリチュアルケアをキーワードに、いろいろな人にお話を聞いたり勉強の場に顔を出したりしていた時期があったのですが、ここしばらくそういう場所からは遠ざかっていました。今回久しぶりにそういったキーワードを共通項として集まる人たちの場に身を置き、この雰囲気こそが「死というものを含めて生を考える(「考える」というよりも「感じる」)」ということなのかもしれないと思いました。
おそらくこの日集っていた人たちは、それぞれ携わっておられる実践の場は異なるものの、「喪失」や「悲しみ」、そして「スピリチュアルケア」に関心をもち、それを大事だと考え、それらにもう少し近づきたい、理解したいと思っている人たちだったと思います。そこに共有されていた空気を実感したとき、同時に気づくのが、私自身が普段生活している時間の流れや意識の向け方がいかに「生」のみに偏っているかということでした。
研究会の帰り道、秋のさわやかな夜風に吹かれながら、亡くなったあの人やもう会えない人たちのことを久しぶりに思い出し、懐かしくあたたかな気持ちにひたりました。もう少し頻繁に、もう少しいろいろな場所で、もう少し多くの人が、できれば若干気軽に(敷居の高さを感じないという意味で)、こんな時間をもてるようになるといいんだろうなと思います。
臨床スピリチュアル協会(PASCH)は、臨床スピリチュアルケア専門職の養成を目的として発足した協会です。PASCHの活動や研究会の案内は下記よりどうぞ。
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ケアの文化研究所 森口弘美